ブログの記事を書き始めて早いもので2年が経過する。その間ブログの書き方だとかマニュアルだとか記事パクリだとかいろいろなものを調べてきた。そうしてみんなオリジナルの『○○流』みたいなものができあがると思う。
今回はカルオ流ブログ記事の本質について、未来の自分がさまよえる蒼い弾丸になっても振り返られるように記事に残しておく。なんなら未来では価値観が変わってアップデートされているかもしれないしね。
見られないとゴミ
これは自分に最大ダメージで返ってくるんだけど、見られない記事は基本ゴミ。うんこ。
僕のブログは月間120~200PVほどの数字をうろうろしている。正直言ってこれなら更新しない方が自分の生活にゆとりができる。これでおまんまが食べれているわけではないから、赤字経営を2年している状態。社長なら無能すぎ。
収入を得るための努力・下積み…と捉えている。が、これはさすがに不甲斐なさすぎると最近ひどく惨めな気持ちになることも実はあったり。「実は収益を生み出す環境にすればすぐにプラスになるんです」くらいの余裕があればかっこいいんだけどそれもない。なんせ月間120~200PV。
つまりブログやWEB記事の本質のひとつとして人に見られる=PV数というのはかなり重要な要素。明日のおまんまやお金に直結するし、心情的なところであれば、見られて盛り上がるというのはやはりいい刺激になる。
小手先は小手先
SEO・WEBデザイン・回遊性…さまざまな技術指南がこの世には溢れている。とはいえ、そこは正直小手先の分野だな…とこの2年で思った。
小手先だから手を抜いていいとは思っていない。今のレスグラフのサイトデザインには満足しているわけもないし、SEOも回遊性もどちらの読み手に配慮すべきことだ。
けれど、結局記事を読みたいかどうかは『自分事として捉えられるか』『解像度が高く想像しやすいか』のふたつが重要だなと。
記事つくりの本質
自分事として捉えられるか
この記事はブログ書いてるけど伸び悩んでる人は今のところ首5ミリくらいすり減ったんちゃうんか…くらい頷いてると思う。そしてこういうのがきっと『自分事として捉えられるか』というテーマの選別。
ニッチな記事ならこれでも正解でいいんだけど、ニッチなものをメジャーに伝えようとする場合が『自分事として捉えられるか』という至上命題に対するライターの腕の見せ所だなと。
この当たりを肌感として持っておかないと、いくら疲れ知らずのAIに記事を書かせても『はぁ~世論世論。得るもの何もねぇ~!』で終わる。
解像度が高く想像しやすいか
解像度が高い記事は『当事者として』という部分が重要になる。
今回のブログ記事のテーマに『伸びないブログ運営』を据えているんだけど、これは僕が当事者として歯ぎしりするくらいにずっと考えている部分。
話を戻して、『当事者として』自分がどう思い、何を考え、何を得て、考えに変化が生まれたのか。そういったことを書けると解像度は高くなる。
とはいえその考えが浅ければやはり数字は伸びないわけで。自分の考えをより深く進める必要があるんだなと、僕は月間PV数を見て戒めている。
『知りたいこと』『書きたいこと』
僕がこれまで書いてきた記事。今見られているものもあれば全く見られていないものもある。その違いは何かと言えば『知りたいこと』が書かれているか否かだろう。
月間レスグラフに至っては『書きたいこと』だけで構築しているから数字を気にしないことにしているんだけど、他の記事はバキバキ気にしてる。
『知りたいこと』と『書きたいこと』どちらか一方にだけ偏ると上述した『解像度』と『自分事』が上下しすぎる。多くの人が『知りたいこと』かつ当事者として『書きたいこと』のバランスを掴む。
これがブログの記事制作に必要な能力かなと。
まとめ
最近僕が一番知りたいのは『官能小説の書き方』だったりします。
今回以上です。