『ルールがあるから自由になれる』とはよく言ったものだなと、コーヒーをすすりながら感嘆している。
僕の心情としても原理原則・ルールを把握することは大切だと思っている。とはいえみんなの言いたいこともわかるんだ。
原理原則・ルールの把握ってめんどくさい。結局何すりゃいいんだよ。
耳鳴りかと勘違いするくらいそういった声が聞こえてきそうなので、今回は原理原則・ルールの把握はマストという話を専門家になるわけではない、というセーフティを張りつつ独断と偏見で語っていく。
ルールがあるから自由になれるは『心理的安心』
冒頭でも紹介した『ルールがあるから自由になれる』という言葉。なんか見たことがあって調べはしたんだけど、誰の言葉かは判明しなかった。誰か教えてほしい。
とはいえこの言葉の意味しているところは『心理的安心』だと思う。
極論、法律というルールがない世界。誰も何も取り締まれずに各々がやりたい放題であれば、家を出た瞬間に誰かに殺されるかもしれない。そんな不安を抱えたまま生きていくことになる。
殺人は悪いことですよ、強烈な罰則がありますよ。とルールが定められているから僕たちは安心して外に出れる。
安心して外を出歩ける世界と不安に苛まれながら周囲を気にして外を出歩く世界。
どちらが自由かなんて、もはや語るに値しない。僕は圧倒的に前者の世界を生きていきたい。
原理原則・ルールを把握しないと損をするのは自分
上述で例に出した法律のようにこの世の中はあらゆる原理原則・ルールに溢れている。
法律・社内ルール・校則・・・まぁでてくることでてくること。
しかもその全てのルールが難しい言葉でつらつらと書いてある。マジでもっと読みやすくしてくれと思う。
とはいえ、それはもはや様式美として読み慣れるしかない。漢文みたいなものだと思えば幾ばくが気が楽になる。レ点とか一・二点よりかは読みやすいからね。
そんな読みにくさマックスのルールなんだけど、ある程度理解はしておかないと自分が損をする。
単純に無知で損をすることもあれば、適切なルールの破り方を知らずにプラスになったはずのものがマイナスになったりする。
バスケでわかるルール把握の強み
ところでみんなはバスケは好きだろうか?僕はTwitterでもブログでもたびたび話題に出すようにバスケが好きなんだ。
その最高峰のリーグであるNBAでは日々苛烈な試合が行われている。同じ人とは思えないようなバスケを展開する彼らのプレイは見ていて楽しい。その超人たちが入り乱れるリーグで一番効率がいい得点源はなんだかご存知だろうか?
ゴール下のシュート?3Pシュート?トランジションでのレイアップ?はたまたNBAの花形ダンクだろうか?
上述したものは全て違う。答えは『フリースロー』だ。
NBA選手も監督もそれをわかっている。だからこそ彼らはバスケのルールを理解し、適切な破り方も同時に見つける。
フロッピングというあえてファールをもらえるように演技をすることが多々あるんだけど、それなんかはルールを把握したうえでの適切な破り方かなと僕は思う。誰も人道に外れるという原理原則は犯していないからね。
ちなみにYouTubeにおもしろフロッピングを集めた動画なんかもあるから興味がある人はぜひ見てほしい。自然と口から「そうはならんやろ」って出るから。
専門家にはならなくていい
これだけ口酸っぱく『原理原則・ルールは知っておけ!』と言っているとツンデレのツンが強すぎるのでこのあたりでデレも入れておく。
原理原則・ルールの全てを知っている専門家になる必要はないんだ。
ただ、きちんと自分の関係するまたは関係しそうな範囲のことを知っておくだけでいい。
別に僕らはルールを決める専門家になりたいわけじゃない。時にはルールを決めたり、変えたり、失くしたりする場合もある。それでもそうするのはルール特化の専門家になるためじゃないはずだ。論文を書きたいわけでもないだろう?
ならば、自分が損をしないために原則・ルールを把握しておく。もしアクシデントがおきたらその都度確認をする。それでいいじゃない。
自分が生きている年齢の何倍も原理原則・ルールというのは残ってきたものだ。時代に沿ってものもなかにはあるが、概ね良いものが残っていると思っていい。
これいいルールか?と疑心に満ちながらルールを把握しようとするとめちゃくちゃに時間がかかるからね。こういう小難しいものを把握するときには自分の感情は一旦消して、素直に受け止めて咀嚼することを心がけよう。
気になることを増やすために自分から未知の情報に跳ぶ
さてさて、今回の締め。
今回は終始『原理原則・ルール』について語ってきた。
とはいえ実際のところは必要にせまられない限り原理原則・ルールについて調べる人は少ないと思う。
だからこそそういった人たちには『とりあえず跳ぶ』ということをしてほしい。
気になる未知の情報に跳ぶんだ。
流行をかっさらっているChatGPTの原理原則・ルールを知るのもいいだろう。
ちなみに僕はどんな技術が使われているのか、次の進化は始まっているのか、AIの歴史っていつからなのか。その辺は調べた。
なんとギリシャの叙事詩『イーリアス』には人間の姿をした生命体を作り出す描写があるんだそう。紀元前8世紀にはすでに人はAIに近いものを想像していた。
近代的な意味でAIを定義し、人工知能の父と呼ばれたジョン・マッカーシーとマービン・ミンスキー。こういったレガシーがあるから僕たちは今便利なことを試せている。
こういった興味深いことが次々と出てくる。それを知っていくと、やっぱりこの原理原則・ルールはよかったんだ・悪かったんだと自分軸で判断ができる。
他人に惑わされることはない。
原理原則・ルールを知るというのはやっぱり自分が自由に生きるには必要なものだし、知っておかないと損することでもある。それは上述したように自分の軸で生きていくことができるというのが一番大きいんだ。
逆に一番のメリットといえば、『自分らしく自由に生きることができる選択肢をとる』ということが自分軸で判断できるようになるということだろう。