どうも、ハルカです。
今回はエッセイ回。これはブログになるのか。ブログってもっと人へ情報提供するものじゃないのか。そんな御託はさておき、今週仕事が忙しかったので書く暇がなかったとかいう言い訳も捨てて。エッセイを綴ることにする。
印象深い旅行のエッセイ

1
これは僕が小学校低学年の頃の話。
その日は珍しく父親が自宅にいた。珍しく、と書くのには理由があり、うちの父親は割と悪いタイプの親で仕事はしないし日中はパチンコに出かけ、家に帰ると離れの自室に籠り、借金をしてまたパチンコへ。そんな人だったので、いまいち家にいるかもわからない人だった。何より僕自身が彼を「お父さん」とか呼んだ記憶がほぼないくらい。
さて、それが何を思ったのか父がこんなことを言ったんだ。
「今日温泉に行こう」
2
何を急に言っている。今は2月。僕が住んでた地域はかなり田舎で雪が当時は20~30センチ積もる場所だった。さらに父親が行こうとする温泉も山中にあり、雪が降る予報も出ていたと思う。
正直家を出るのはだるかったが、父は言い出すと妙に頑固。結局行くことになり、僕・父・母という3人で温泉へ出かけることになった。
雪自体は自宅の前・近所にだけ積もっており、いざ国道にでてみればさほどの量。当時ギリギリしていた父の仕事がドライバー関係ということもあり、ほら見たことかと言わんばかりの顔をしていたと思う。
自宅から温泉までどれほどの距離だったか、当時の僕にはわからない。とはいえ寝ていれば着くだろう的な感覚で車に乗っていた。運転席に父、助手席に母、後部座席に僕がいたので、話し相手も特におらず、まじで寝るしかなかった。
「・・・ちょっとハルカ起きて!」
僕は母のそんな声で目覚めた。
3
「お母さんいったいどうしたの」
僕はそう言って重たいまぶたをこすり、目を開ける。助手席の母を見るにどうやら温泉についたから起こしたという様子ではない。
「ちょっと起きといてね。これから大変だから」
大変?いったいどういうことだろう。温泉に大変なことがあるのだろうか。そう思ったのだけど、それは全くの見当違いだった。
車が溝にハマり抜け出せなくなったのである。しかも山中の車通りのない道で。
車内に父の姿はなく、どうやらレッカーを呼ぶため電波の届く場所を探しに外に出たという。僕は車外に父はいるのかと、窓の外に目を向ける。
白い。めちゃくちゃ吹雪いている。
僕は何が起きたのか、小学校低学年ながらに察して母にこう言った。
「お母さん、これって遭難?」
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その後どうなったかと言えば、一言で表すと「散々」だった。
車は父が金を節約するためにガソリンを入れておらず、レッカーが来るまでの1時間強ほどエンジンをかけ続ける余裕がないということで、厚着をすることで寒さを凌いだ。レッカーが来てからは代わりの車も運んできてもらい、その車に乗り込み温泉にも行かず早々に自宅へ帰宅。その間父と母のケンカは止まらない。
時間をかけて遭難し、父と母のケンカを見るだけの1日。そんなものを幼少期に味わってみてほしい。ある種どこか達観した気持ちになれる。
5
後日談というか、今回のオチ。
その後というもの、家族旅行および家族ドライブや家族お出かけというものは、よその家庭が聞くとびっくりするほどになくなった。というか、親が離婚をするまでのそこから10数年の間においては一度もなかった。
僕はといえば、別にそれを特別なこととも思っておらず「あの父がやることなんだから、これくらいアホな結果になるほうがぽいよな」なんて捉えていて、学校の友人たちに話すこともなかった。
とはいえ今思い返すと結構ピンチだった気がしないでもないのだ。
父が電波がつながる場所を見つけられなければ?
吹雪きの山中でもっと早くエンジンが切れていたら?
溝にハマるのではなく、ガードレールを突き抜けていたら?
たらればを考えるとギリギリ死ななかったというレベルなのかもしれない。というか、父関連の話というのは何故か「運よく生きている」系のものが多い。勘弁してほしい。
まとめ
僕が初めて父を滅すと思ったのは、真夜中に担ぎ上げられて自宅裏山へ午前1時ごろに投げ捨てられ、父は僕を放って一人で帰ったとき。

